海外進出の歴史
アトラスはプリクラを2003年中国へ進出させることを発表。 米国をはじめとする海外市場へ展開し、今回そのノウハウを生かして中国のプリクラ市場を開拓に本格的に取り組んでいくことを目指していた。 パイロット店舗「PIKAPIKA」を上海の徐家匯にオープン。 5月下旬には天津にて、アトラス電子有限公司の稼動を開始。しかし2006年解散。 今後の黒字化の目途がたたず、経営改善の見込みがないことから、事業の継続を断念した。 東南アジアでの業務用ゲーム機器販売とシンガポールでのプリクラ店舗運営を手がけるシンガポール子会社アトラス・エンターテイメントを設立したが、2008年5月に解散。シンガポールのプリクラ店舗の収益が悪化、ゲーム機器販売も伸び悩みアトラス・エンターテイメントの2007年6月期決算は売上高1億4800万円、最終赤字700万円だった。
1995年にプリント倶楽部が発売され、1997年頃に第一次ブームのピークを迎える。 過熱したブームは2年程で収縮し、街中至る所に設置されたプリクラ機もその数を急激に減らしていった。しかし、日立ソフト製の「劇的美写」の登場をきっかけに、免許証用証明写真にも使えるほどの高画質化、全身を写せるほどの広範囲化、プリクラ機で撮影した写真を直接雑誌に投稿できたりオーディションに応募できたりといったネットワークの活用、などの多機能・高性能化が進んだ。アトラスはスーパープリクラ21の在庫を大量に抱えていたため出遅れ、他社に先を越される結果となってしまった。 「プリクラ」は普通名詞化した商標として一人歩きし、アトラス以外のメーカーが大きなシェアを占め、2009年2月、アトラスはプリクラを含む業務用ゲーム事業から撤退することを発表。開発コストの上昇などから採算性が悪化している上、アミューズメント業界の苦戦と消費低迷の影響から機器の受注が大幅に減っていた。 2008年7月期の同事業売上高は53億8400万円、営業利益は5900万円。売上高はピークの約6分の1に落ち込み、ここ数年は利益がほとんど出ていなかった。09年7月期の同事業は営業赤字は避けられない見通しで、再建と成長可能性を検討した結果、「同事業が今後黒字転換し、収益を確保できる可能性は乏しいとの判断に至った」として撤退を決めた。 他社の機種では、赤外線通信で携帯電話に撮影した画像を送れるほか、肌と髪の色をバランスよく調整し、黒目だけを大きく写すなど機能が開発 されている。 商品サイクルは大人をターゲットにしている商品よりもはるかに短い。新機種開発には6ヶ月かかることもある中で、3ヶ月サイクルで新機種を発売するケースもある。こうした状況の中で流行として廃れずに10年以上にわたりロングセラーを続けている背景には、消費者ニーズの把握、高性能化の追求や新機能の追加といったメーカー側の不断の努力がある。
業界シェア4割を持つフリューでは、小型機「arinco」をテレビ局・映画館・観光地向けにも販売している。 小中高生や、かつてプリクラにはまった30代を次のターゲットとして取り込もうとする動きもある。
設置台数は2007年時点で19760台、2002年の36546台をピークに年々減っている(日本アミューズメントマシン工業協会調べ)
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
海外ではあまり人気が出なかったのですね。
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